mimure kyoko
み群杏子 (みむれきょうこ) (星みずく)



今から10年近くも前のこと。「ポプコーンの降る町」の大樹公演を前に、川野さんが京都で狂言の舞台に出演されることを知り、会場を訪ねました。初めてお会いした川野さんは、メールのやり取りで感じていた「熱い人」そのままの、それでいて細やかな気遣いのある、とても真摯な方でした。

あの時から、川野さんはずっと、私の作品を上演して下さっています。
私は川野さんがホームページやブログにアップされる公演までのプロセスを読み、いつも胸をワクワクさせて東京へ行き、本番を観させていただくのです。
川野さんが芝居に注ぎ込む情熱は、もう驚きの連続でした。

私は大阪で「りゃんめんにゅーろん」という舞台創造集団に所属してはいましたが、芝居とのかかわりは脚本を書くことだけでした。でも川野さんの舞台に対する姿勢を目の当たりにし、私の芝居に対する考え方にも変化が現れました。

あまり顔出しをしなかった現場に出向き、書かれた作品が立ち上がっていく過程にも関心を持つようになったのです。役者という存在に憧れていたのだということに気が付き、これは自分でも驚きでした。人見知りで、人前に立つことは苦手だとずっと思っていたのですから。やりたいことはやってみなくちゃ!です。

2008年「星みずく」と名をつけたユニットを立ち上げ、遅ればせながら、ギャラリーやカフェで“自作を語る”ということをおそるおそる始めたのです。そんな小さな公演にも川野さんは毎回足を運んで下さり、暖かい言葉をかけて下さいます。それは私にとって大きな励みとなっています。

今回、劇団大樹さんが再出発に向けて活動を開始されるということで、なんと、私に出演依頼が舞い込んできました。いつも客席で胸をワクワクさせて観ていた大樹さんの舞台に、自分が上がることになるなんて!

もう、ドキドキしながら、本番を迎えることでしょう。


子供の頃から詩や童話を書いていたが、1991年、処女戯曲「恋心のアドレス」が、文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作を受賞し“劇作家”として活動を開始する。1992年にも「ポプコーンの降る街」が同賞を連続受賞。その後、Kiss-FM「Story for Two」のレギュラー執筆を担当。言葉のニュアンスを大切にしたポエティックな作風が特徴。生の悲しみおかしみを根底に持つ独特の作品世界を展開。2002年には、初の戯曲集「微熱の箱」が出版される(宝塚出版刊/星雲社)。現在、自作をプロデュースするリーディングユニット「星みずく」を主宰。来年、2014年には、劇団大樹への書き下ろし「燈屋・うまの骨」が控える。

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