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川野誠一 (かわのせいいち) 劇団大樹



「灯屋・うまの骨」上演によせて…
                             
この「灯屋・うまの骨」は、劇団大樹が切望していた、み群杏子さんの書き下ろしです。これまで劇団大樹では「ポプコーンの降る町」「ひめごと」「森蔭アパートメント」「マダムグラッセの家」を始めとする戯曲、そして短編リーディング公演として「微熱の箱」「ジェリービーンズの指輪」「カスタネットの月」など、数々の、み群作品を上演して参りました。しかしその何れもが既存の作品であり「いつか新作を」と願い続けていたのです。2015年は劇団旗揚げ20周年に当たります。その節目に、み群杏子さんの新作をお披露目出来ることは本当に大きな喜びです。

み群作品の大きな魅力は、時間と空間を優しく飛び越える力、詩的な言葉に感応する登場人物たちの変化にあります。思い出の世界であったり、懐かしい場所であったり、カバンの中の異空間であったり、あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりしながら、その世界に迷いこんだ他者は、み群世界の住人たちに感応し変化して行きます。み群さんの世界は決してドラマチックなものではありません。むしろ淡々とし、主だった登場人物たちは、マイペースなまでに変わらない営みを続けています。この「変わらない」ということが、み群作品の核となっています。変わらないというのは、言い換えれば「形を留める」ということです。み群さんは、こんなことをおっしゃいます「思い出の一番の保存方法は物語にしてしまうことだ」と。この言葉に在るように、み群さんの物語は、み群さんの心の箱に仕舞われていた物語であり、その保存方法として戯曲化されているのでしょう。事実、昨年上演しました「カスタネットの月」を見たみ群さんは「自分のプライベートが満載で恥ずかしい…」とおっしゃっていました(笑)

この現代社会の中に在ってどこか古めかしい、時代に置いてけぼりにされたような言葉や物、そして営みが溢れる、み群杏子さんの世界。思い出を保存すると言うことは過去を大切に仕舞うということです。現代社会では目まぐるしく変化するツールやモバイルに翻弄され、新しい物を使いこなす事に時間を消費してしまいがちですが、み群さんの物語は、そんな現代感覚にゆるりとブレーキを掛けてくれ、ふと立ち止まり月を見上げるかのような安らぎを与えてくれます。

舞台となる「うまの骨」は、古いものを再生し、新しいものとして生まれ変わらせる再生工場です。うまの骨とは「どこの者とも分からない」という意味が含まれますが、それは主人公の透馬そのものでもあります。骨とは、血肉が失せた時に残る唯一のもの… この言葉には皮肉と共に、血縁を超えた愛情の確かさを信じようとする、透馬の思いも含まれているのでしょうか。


大分県出身、1972年生まれ。1995年、劇団大樹を旗揚げ、主宰として現在に至る。2002年より大蔵流狂言方/眞船道朗師に師事、2009年より大蔵流狂言方/善竹十郎師 (重要無形文化財・総合指定保持者) に師事し、門弟として狂言を学ぶ。2011年、狂言 「蝸牛」 太郎冠者役にて狂言師として初舞台。現在、俳優業と並行し、大蔵流狂言方としても活動。善竹十郎家の一員として、狂言の普及やワークショップなどを行う。また大分弁の方言指導者としても活動し、大分弁による郷土民話の一人語り 「瓜生島」「鶴見岳と由布岳」「青の洞門」 を上演。その他、TV、CM、ナレーター、イベントMCなど、多方面で活動。日本俳優連合会員(総代)、日本新劇俳優協会々員、スターダス21所属。
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