saito takashi
斉藤 貴 (さいとうたかし) 演出



灯屋・うまの骨によせて
 
「どこの馬の骨だかわからないような奴にうちの娘はやれん!」などというセリフをたまにテレビドラマなどで聞きますが、素性のわからない人物に対して使う「馬の骨」という言葉は、もともと‘役に立たないもの’という意味だそうです。

「一に鶏肋、二に馬骨」

というのが古代中国の二大“役に立たないアイテム”で、鶏の肋骨は小さすぎて、馬の骨は大きすぎるからというのが理由とのこと。
馬といえば当時の生活には人間のパートナーとして欠かせない労働力であったのに、死んでしまえば邪魔扱いとは何たるひどい仕打ち!と、思いつつも群雄割拠が続く大陸の歴史では、まさに‘生き馬の目を抜く’世界がそんな感傷に浸らせることを拒んでいたのかもしれないと邪推します。

しかしながら大陸にはこんな話も。「スーホの白い馬」。

道に倒れていた仔馬を引き取り大切に育てたスーホの白い馬は、やがて誰もが羨むような駿馬になるが領主の嫉妬で殺されてしまう。嘆き悲しむスーホの夢の中に白い馬が現れ、自分の死体を使って楽器をつくるように告げ、そうして出来たのが馬頭琴であるというモンゴルの民話。

さて、この話は‘どこの馬の骨だかわからない’ような人たちが住む下宿と‘馬骨’のような品々がならんだ再生工房が舞台になっています。
一見、役に立たないようなものでもアイデア次第で価値あるものに化けることは多々あります。
一見、役に立たないような人生経験でも以下同文。
それは化けるというより、本来のよさを見つけ出すと言った方が適当かもしれません。
 
どこの馬の骨だかわからない演出にとって、どこの馬の骨だかわからない登場人物たちを‘美しい旋律を奏でる馬頭琴’にしていくことが当面の使命だと心得るも、まだまだ若輩者にて、馬脚を現さぬよう精進いたす所存です。
灯屋・うまの骨、乞うご期待。


横浜国立大学教育学部卒後、劇団NLT附属俳優養成所に入所。同所を卒業後、矢崎滋の東京芝居倶楽部、フリーを経て2002年、劇団キンダースペースに入団。現在は同劇団の演出部に所属。作、演出活動の他、高校や公立文化施設及び自劇団での演劇ワークショップにファシリテーターとして数多く携わる。2013年3月、劇団キンダースペース退団。芸術表現活動とワークショップ事業を目的とした団体、Workshop works GRAVITONを立ち上げる。ドラマ教育においては、イギリスのミドルセックス大学教授ケネス・テイラー氏に師事。青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム修了(第7期)。