解説/川野誠一
微熱の箱 The box of the slight fever

2002年に出版されました、み群杏子さんの戯曲集 「微熱の箱」。み群さんは、子供の頃から箱が好きだったそうです。箱を持つのも、箱で遊ぶのも。オルゴール、クリスマスボックス、衣装箱、箱庭、観覧車… 

この本の中には、2本の戯曲 「ポプコーンの降る街」 「パセリの木」 の他、「15の小さな作品集」 と題された珠玉の短編が盛り込まれています。この作品は全て、み群さんがレギュラー執筆されていたラジオドラマで、 「STORY FOR TWO」 という、Kiss-FM局の番組にてONAIRされたものです。番組のコンセプトは 、2人の、愛の、恋の、想の、夢の物語。ラジオでは腹筋善之介さんと維新派の平野舞さんが語り手をされていました。実はこのラジオドラマ、戯曲集に収録されている15本以外にもまだ20本近くあるのです。全て読ませていただきましたが、心の琴線にふれる素敵な作品がいっぱいです。今回の大樹公演では6本の短編を取り上げます。戯曲集から3本、未収録のものから3本。ポップでハッピーなもの、美しさと儚さが同居した世界、思い出の中に色濃く残る優しさや、どこかで繋がっている心象風景。そんな作品群を飾らず構えず楽しく物語りたいと思います。1本が3分程度の 「小さな作品集」 です。

◎上演作品 : サーカスの夜/鏡の男/しりとり、しよっか?/猫の喫茶店/ひかりの箱/林檎演奏家/やさしい時間

いつもより少し熱のある日、
いつもより少し胸の鼓動が早い。
少しけだるく、少しものうく、そんな時、
私は忘れている何かを思い出す。
胸の奥にしまいこんだままの箱。
箱の中には、あの日の物語がねむっている。

み群杏子/詩 「微熱の箱」
ジェリービンズの指輪 A ring of the Jelly Beans

バーのママと、お墓で拾われた幽霊の男の子のお話…

お話によると、み群さんが書いた最初の小説がこの作品だそうです。この 「ジェリービーンズの指輪」 もともとはひとつの作品として上演する予定はありませんでした。というのも、当初はラジオドラマの脚本として出会っており 「微熱の箱」 の候補作品のひとつだったからです。しかしこの作品にはラジオドラマのもとになっている小説があると、み群さんがご好意で小説版 「ジェリービーンズの指輪」 をお送り下さったのです。この小説を読み終えた時の感覚は今でも忘れられません。お互いもの凄く孤独なのに埋め合うでもなく、分かち合うでもなく、傍にいるという事だけが自然の摂理みたいな感覚で、そこに居合っている。この2人の関係は世の中の色々なものに置きかえる事が出来るように感じました。僕は迷わず、この小説版の方を 「ひとつの作品として」 上演させて欲しいと、み群さんにお願いをしました。結果、み群さんより 「カスタネットの月が、女の側からの物語なら、ジェリービーンズ指輪は、男の側からの物語として一緒に上演するのは、私も面白いと思います」 とのお返事をいただきまして 「ジェリービーンズの指輪」 の上演が決まったわけです。



しょうこさんは、僕をみつきと呼ぶ。
僕が墓から出てきたのが、美しい月の夜だったからだ。
僕はゆうれいだ。僕には記憶というものがない。
死んでから百年以上も経っているので、
いろんなことがあいまいになっているのはしかたがないことだと、
しょうこさんは慰めてくれる。
僕の記憶は、しょうこさんとの出会いから始まっている。

み群杏子/作 「ジェリービーンズの指輪」 より
カスタネットの月 The moon of castanets

羽室こずえは入院していた。病気の原因はわからない。過去を振り返る自問自答の中で、彼女の閉じられた心の箱が少しずつ開かれていく、1人の女の喪失と再生の物語…

この作品は、み群さんが1人芝居として書かれた朗読劇です。 「白い箱」 という抽象的なテーマをもとにお書きになったと聞いています。やはり 「箱」 は、み群さんにとって大切なインスピレーションの源のようです。昨今の演劇を見ていると、ストーリーやロジックばかりが緻密さを増し、人間の温みや痛みを人肌感覚で描いた作品に出会うことは稀になって来ました。その中にあって、この作品の持つささやかな輝きに僕はとても魅力を感じるのです。例えるなら、通りかかった、小さなお店のショーウインドウに飾られた、アンティークドールに魅せられたような感覚でしょうか… 本来は、主人公である 「羽室こずえ」 以外の登場人物は、全て 「声のみ」 の出演となっているのですが、今回はみ群さんの了承を得て、ひとりを除き、舞台に登場させる事にしました。また、この作品には。草月流の華道家/横井紅炎さんによる 「花演出」 が入ります。この物語の在り方と 「生け花」 の在り方が、僕にはとても似ているように感じるのです。とても女性らしい佳品です。



気がつくと、ぐらりと胸が動き出していた.。
ことり、とくり、こと、こと、とく、とく。
病院に来て初めての発作。私はパジャマの胸を開く。
先生は私の胸に聴診器をあてる。
聴診器の向こうは、
どんな音が聞こえているのだろう。
今、私の胸のなかで、カスタネットを夢中で打ち鳴らしている子供がいる。

み群杏子/作 「カスタネットの月」 より