劇団大樹  kawano seiichi
川野誠一

マダムグラッセの家、上演によせて・・・


劇団大樹が、み群杏子さんの作品を上演するのも、この「マダムグラッセの家」で、5本目となります。実はこの作品、当初、全くのノーマークの作品でした。ところが、演出をお願いした、テアトルエコーの平野智子さんが、み群杏子さんのプロフィールの中にひっそりとあった、この作品を指差し、「私これが読んでみたいです!」と言うのです。上演作品の候補として3作品ほど提示している僕を前に、彼女はそのどれでもない、この作品を選びました。

この作品、僕は、もちろん読んだことはありましたが、正直なところ、劇団大樹で上演する作品ではないなと、ずっと引き出しの奥に原稿を仕舞ってあったのです。ところが彼女の一言から、僕は原稿を引っ張り出し、もう一度、この「マダムグラッセの家」を読んでみることに・・・

すると、まぁ、どうしてどうして、この作品、面白いのです。

「マダムグラッセの家」と呼ばれる、そのホテルには、環境汚染を嘆きながら亡き妻との再会を待ち続ける老教授。かつて学生運動の闘士だったという支配人兼ボーイ兼雑用係の男。魔法の効果を持った砂糖菓子(グラッセ)を提供する、この家の主人、マダム・グラッセが暮らしています。そこへ、満月の夜、どこからかやって来る不思議な娘と、やはり、どこからか迷い込んで来た男女を巻き込み、ひと騒動。物語は、現在と過去が入り乱れながら進行し、ある未来への予測と期待感を持ってエピローグを迎えます。そこには作家が考える、幸と不幸の形、世知辛い現実からの一時の解放が見え隠れします。そして、ハッピーエンドのようにも感じられる物語の結末に孕まれた、夢であるかも知れないという儚さ。そこに僕は、何とも言えないシュールさと清々しさを感じてしまうのです。僕らが、子供の頃に慣れ親しんだ、あの童話たちのように。

もともと、み群さんの作品には、童話的要素が多く含まれ、それが詩的な言葉と絡まり合い、大人のメルヘンとも呼べる、独特の世界観を感じさせてくれるのですが、この「マダムグラッセの家」には、僕らを童話の世界へと誘う、他の作品には見られない“具体的なワード”があります。

「ここは、マダムグラッセの家。昔々、ヘンゼルとグレーテルが迷い込んだお菓子の家…」。

劇中でたった一度しか、それも、物語には直接関与しない台詞なのですが、この言葉を耳にした途端、僕らはそこへの興味と共に、一気に童心へと回帰させられ、読み聞かせられたあのグリム童話の断片が、この夢とも現ともつかない劇世界に急速にリアリティを持たせ、一流パティシエのデザートを前にしたような甘美な味わいと思い出が甦って来るのです。

そう、この作品は、云わば、み群杏子さんが描いた、現代版ヘンゼルとグレーテルなんです。

そこは、ヘンゼルとグレーテルが迷い込んだお菓子の家・・・
そこへ、迷い込んで来る、男と女・・・
そこで、暮らす、黒服のオバサン・・・

ほら、たくさんの想像の種が、あなたを豊かに満たして行くでしょ(笑)

いささか思考が単純と思われるかも知れませんが、この物語を楽しむために必要なことは、言葉に騙されてみることです。み群さん物語には、まるで描きかけの絵のような言葉がよく登場して来ます。そこに僕は、言葉そのものの意味よりも、言葉の響きを信じる“詩人の感性”を感じます。この言葉の選び方こそが、み群さんが持つ、文体であり、言葉の魔法だと思うのです。それらの言葉は、劇中に木霊し、僕らの心の隙間に入り込んで来る。時に迷わせ、また時に誘い、観客の思考をあっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりさせてくれます。それは、まるで、舟のようにたゆたい、ただ身を任せておけばいい、そう語り聞かされているかのようです。

み群さんは、よく「私の作品にはドラマツルギーがないんです」と言います。

この言葉ひとつとっても、彼女の在り方が見えて来ます。彼女の作品の魅力はなんと言っても、その言葉と文体にあります、そこには、演劇性と絵画性が内在しています。作品そのものには、巧妙な展開も、複雑なロジックもありません。ただ、共通して在るのは“過去との関わり”です。そこに彼女の原風景が見えて来る。まるで作品そのものが、彼女にとっての記憶の箱のようであり、一枚の絵のように感じてしまうのです。み群さんの物語には「郷愁」があります。郷愁とは、言うならば、役割を終えた過去や物を懐かしむ気持ちです。そして、人を前へと進ませるのは、未来への憧れではなく、役割を終えた過去のような気がするのです。

み群杏子さんの物語に、どこか普遍的で、どこか寓話的なものを感じてしまうのも、彼女の描く世界が、僕らが日常生活の中で無感覚に受け入れてしまっている、煩わしい社会生活から開放させ、人間本来の営みを、水に抱かれるかのような柔らかさで感じさせてくれるからかも知れません。


                         

劇団大樹 主宰/製作総指揮 川野誠一