主宰 kawano seiichi
川野誠一 (劇団大樹)

   上演によせて・・・

 いつか見たインターネットの記事にこんな世論調査の結果が出ていました。首都圏に住む80%を超える人が孤独を感じている。確か第一位が大阪で、二位が東京23区内だったと思います。この記事を目にした時、僕は「あぁ、やっぱりな・・・」そう感じていました。もちろん具体的な数字を目の当たりにしたショックはありましたが、意外なことではなかったからです。この情報化著しい現代社会の中にあって孤独を感じるなんておかしい・・・そう思われる人もいるかも知れません。しかしどこまでも利便性を追求し続ける現代社会こそが人々に孤独をもたらした元凶であると、僕は感じているのです。インターネットやメールに加え、進化をとどめないモバイル機器は、さり気なく人々からコミュニケーションを奪い続けているのです。都会に暮らす人々は、日の出や日の入りも関係なく、非常に機械的なリズムを強いられ、極端に仕事中心の生活を余儀なくされる傾向にあります。こういう生活環境は人間的な触れ合いをなくしてしまいます。寂しくなればメールやチャット、電話で長話をする。面と向かって何かを分かち合い、会話するのではなく、人間関係において相手と距離を置くことが普通になってしまっているのです。例え仕事に充実感を感じていても根本的なところで空虚な感覚がぬぐえない・・・何かが物足りない。どんなに機械化が進み、世の中が便利になっても、そこに住んでいるのは昔と変わらぬ人間なのです。自分の気持ちを心から理解し、喜びや悲しみを共に分かち合ってくれる人がいない生活は、例えどんなに豊かであろうと孤独から開放されることはないのだと僕は思います。また孤独を感じるもうひとつの大きな要因として、僕は現代社会にある「錯覚」があると考えています。「情報」は共有できても、分かち合うことは出来ません。あなたが知っていることは、私も知っている・・・情報を共有することを人間のコミュニケーションと錯覚してしまっている人々は、実はとても多いのではないでしょうか。もちろん最新のツールを効率良く利用し情報を得ることは、現代社会を生きる上で欠かせないことではあります。しかしあくまで情報は情報であり、実体験ではないのです。例えば僕の好きな絵にシャガールの「青いサーカス」というのがあります。有名な絵ですから知っている人も多いと思いますが、では本物の絵を見たことのある人は?と尋ねれば意外に身近にはいないものです。でも情報として「青いサーカス」を知っている人は、本物の「青いサーカス」を見たことがある僕と情報の共有だけで、何かを分かち合えたと思い違いをしてしまうのです。これは「分かち合い」でもなんでもない、ただの「情報交換」です。遠い国で起こっている戦争だってそうです。僕等はテレビや新聞で情報をタイムリーに入手し戦火の届かない対岸から「戦争」について論議したりします。しかしこれだって「戦争」という情報を共有しているに過ぎません。実際に戦争を体験して来た人間と「戦争」を分かち合うことなんて到底できないのです。でも僕等はともすれば「情報の共有」だけで、さも実体験のように人と思いを分かち合えたと「錯覚」してしまっているのではないでしょうか。この世論調査の結果はもしかしたらそういう現実に気付き始めた人たちの声かも知れません。簡単に情報を共有することができ、メールやネットで、人に会うこともなくコミュニケーションが取れてしまう現代社会だからこそ、人と強く向き合おうと努力しなければどんどん孤独になり、社会から孤立していくのだと思います。情報は残酷です、あふれた情報は時として会ってもいない人間の人格までも形成してしまいます。また情報は操作することもできてしまう、時には偽善や装いが真実になってしまい、本当の自分が苦しくなってしまうという経験をされた人も多いのではないでしょうか。これはとても辛いことです。

この「お月さまへようこそ」に登場する人物たちは、孤独や不安を抱えながらも一生懸命、人と交流しようと頑張っている愛すべき人間達です。その直向きな姿からは、人間が心を通い合わせた時の喜びや、それが達成できなかった時の悲しみがひしひしと感じられます。そして思うのです、人間はたった一人でも良い、自分を心から理解し愛してくれる人さえいれば、世界に立ち向かうことができるのだと。ともすれば暗く重くなりがちなテーマですが、シャンリィ作品では、そこに月や星や惑星といった宇宙的影響が加味することで、人間の行動や運命に大きな飛躍をもたらし、それがお伽話や童話的な温かみを持つことで上質なメルヘンに仕上がっています。登場人物たちは、時に滑稽なまでに思い詰めたり、有りえないような行動で人とのコミュニケーションを図ります。客観的に見れば馬鹿馬鹿しく思えるような行動や言動が、この物語では連続します。でも本人たちは本気も本気、大真面目。ただただ現状を打開しようと必死なのです。人と何かを分かち合おうと必死なのです。でも、そういった行動が必ずしも成功するとは限りません、シャンリィはどこまでも優しい眼差しを彼たちに向けていますが、社会の複雑さも十分理解しているのです。僕がシャンリィ作品を愛してやまない理由もここにあります。

この作品の上演を決定したのは、世論調査の結果を知るよりも随分前のことですが、この世論調査の結果は面白い。きっとこの作品は現代でこそ光り輝く作品であると、今は心から思っています。

僕等は幸い「演劇」というどこまでもアナログな作業を必要する現場にいます。そこに人がいて初めて演劇は成立するのです。だから僕等は社会に生きる誰よりも人とコミュニケーションを取ることに必死にならざるを得ません。僕等の現場は豊かとはいえないかも知れませんが、そこには喜びや悲しみが溢れています。文句を言い合いながらも肌で分かち合える仲間がいます。だから僕等は貧しくても演劇を続けられるのかも知れません。僕等が演劇という行為をおこなう時、社会に対して何か物理的に生産性があるわけではありません・・・だからこそより人間的な発信をしていきたい。「人間っていいな!」そう思えるような演劇を創っていきたい。今回の作品「お月さまへようこそ」から僕等が発信できるものは大きいはずです。

小さな劇団による、小さな劇場での、小さな公演ですが、どこよりも誠実に作品に取り組んでいる劇団であると自負しております。どうか皆様是非足をお運びください。劇場でお会いできることを楽しみにしています。