Kawano Seiichi
宏一郎のキャラクターは、根はやさしいんだけど、朴訥でぶっきらぼう。人なつっこくしゃべるという感じではなく、ぼそぼそという感じのほうが、やはりいいと思うんです。現代のペースには合わないゆったりのんびりした性格で(それは森蔭アパートの住人みんなに言えるのですが)、川野さんにはそういうキャラクターを演じてほしいです。


この作品の上演を決めた時、作者である、み群杏子さんから頂いたメールの一文です。作者から直にイメージを伝えられることを嫌がる俳優は多いかも知れませんが、僕はとても嬉しく幸せに感じました。この言葉を真摯に受け止め、僕らしく、そして、み群世界の住人として、み群さんから認められるような 「森蔭宏一郎」 を演じたいと思います。テーマは癒しです(笑)




Iso Hideaki
私、幽霊の森蔭大作でございます。生きていた頃は小さな病院を営んでおりました。この森蔭アパートメントの前身ですね。私は昭和年代を思わせるこの建物と住人が大好きでございまして、毎晩のようにお邪魔しております。パソコンもケータイもしばし忘れて、あなたも 「森蔭アパートメント」 に遊びにいらっしゃいませんか?




Kohzuki Sachiko
森蔭アパートメント。こんな処が、本当にこの世にあって、こんなところで暮らせたらどんなに良いだろう。脚本を拝見した時、まずそう思いました。まるで、ふるさと切手の絵の中にある様な、清々しくて、邪悪なものが一切感じられなくて、皆がそれぞれ誰に迷惑をかけるでなく、かけられるでもなく。金なんかなくても何とかやっていける。遊びっこさ人生なんて…かっこいーい!! まさに理想のユートピアですね。おまけに、想いを寄せてくれているユーレイさんまでいて、かなめさんは最高に幸せなお婆ちゃん。それを全然知らないっていうのが、又良いんですよね♪ 「森蔭アパートメント」 に乾杯!!




Tawara Hazime
過日、千田是也先生の 「近代俳優術」 で演劇を学ばれた 「福原秀雄」 氏。そして同じ、千田先生の 「現代俳優術」 のディテール型見本となった小生が共演する機会を得た。最終景、牢番役の福原氏に対し、判事役の私が 「詰腹を切らされ」 別れる場面で、私が敬礼をした。対して福原氏は 「おじぎ」 を返すかと思いきや、全くの約束事ではなく、同じ 「型」 で答礼された。後日、何人もの観客から 「あそこの二人は印象的だったね。ただの酔っ払いの牢番と判事ではなく、明治維新を共に闘った同志だったのかな」 とか。 「観客に媚びた“西洋化芝居”じゃないものを久し振りに観たよ。」 とか。又、今、大流行の“インプロ”をやっている後輩からは 「空中パス受け、ダンクシュートで決勝点でしたね。あの場面。」 等々言われ、二時間の芝居の中での僅か一秒。ちょっと疑い続け、妖しげに思っていた 「術」 の意味が腑に落ちた瞬間でした。時代を越え、千田先生の一番弟子と最後の弟子が同じ舞台に立ち、阿吽の呼吸で、先生に教えられた所作ができ、観客から反応があった事。福原秀雄氏に感謝です。そして二人が、千田是也先生の親炙に浴びせた事。「役者殺すに刃物は要らぬ…。」 肝に銘じ、日々精進したいと思っております。




Tanada Yuujirou
まさか、自分がお芝居の舞台に立つことになるなんて!? 今も、そんな思いが自分の中にあります。今回、川野さんからの熱烈なお誘いと、共通の知人の薦めもあって、出演を決めました。お話の中で、なんともふわふわした印象のユリストですが、その独特な存在感を上手に表現出来ればと思います。 これが最初で最後の舞台出演と考えているので、そうゆう意味では非常に貴重な経験になると期待しています。まぁ、気まぐれな性格なんで、先の事はわからないですけどね。




Iida Miku
私が舞台役者になるきっかけになった劇団大樹さん、役者としてすごく尊敬している川野さん、大好きな劇作家、み群杏子さん、大好きな山口さんの演出。私にとってはいいとこ取りすぎるこの舞台、頑張らないわけにはいきません。初めて自分の劇団を飛び出しての出演で、とてもドキドキしていますが、同じくらい楽しみでもあります。よりよい作品になるよう精一杯頑張りたいと思います♪



Kitade Kouji
「猫役をお願いできますでしょうか?」と劇団大樹の川野氏から猫撫で声で連絡がきました 「猫!? 猫てなんやねん!?」 と猫背なままツッコミを入れつつ気が付けば今日にいたりました。舞台観劇をしていると何気に 【猫】 って役、そして 【猫】 を演じている役者って結構いるもんですね(笑) 「猫らしく」なるかどうかわかりませんが、台詞を忘れた時、きっと私は 「にゃ〜」 と鳴きだすのでしょう。


Tanaka Yoshiko
夢のなかで、誰かにほんとに恋していたり、大事なともだちがいたり、よく知っている場所が出てきたり、でも、目が覚めると、誰だったのか、名前も顔もわからないし、思い出してみても全然知らない景色だったり、そんなことが時々あるなあってことを、ふと思い出しました。あの 「恋人」 や 「ともだち」 や 「昔から知ってる場所」 は、夢のなかだけのものなのか、それとも、どこかで出会っているはずなのに忘れてしまったものなのか、やっぱりわからないけれど、「森蔭アパートメント」 の風景は、それと似ている気がします。アパートのドアを開けるのが、いまから楽しみです。